2013/07/08(月) 14:19 - わからん 期 わっからーん
俺、中学の10周年記念誌がどーのこーの書いてる時点でそんなに歳いってないのわかるだろ?
でも書けるんだぞ。
散々トス出してやったのに誰も書かねーから本気文章書いてやった。
信じられないだろ、俺だぞ、書いたの。
これぐらい書いてみろよ、おい、読んでるお前、これぐらい書いてみろよ。
「これからの反戦教育」
現代の日本では、自国の過去の戦争行為を良しとしない反戦教育が非常に盛んです。これは主として日教組の主導によって行われているということが知られています。戦争は、statismを通過したnationalismが至る一つの頂点です。これを教育の場で否定するということは、国家に対する帰属心を子供達から拭い去ろうという考え方が彼らの中にあるからに他なりません。彼らがこのようなことを行うのは、「子供達が国民としての意識や自覚をもつことは、その子どもの個人としての自由な自己表現の可能性を圧迫する」という考え方を持っているからです。そして、彼らがこのような考え方をするのは、彼らの考える教育学がルソーの哲学の影響を強く受けているからです。
確かに彼らは、子供達を「国家」から「解放」することには関してはある程度の成功を収めました。しかし彼らは、その直後に非常に大きな問題を引き起こしてしまいました。それは、「ナショナリズムに代わる精神的支柱を養うメソッドを子供達に与える事が出来なかった」ということです。
何故そのようなことが起きてしまったのかというと、それは、「ルソーが残したメソッドは個を尊重する文化の浸透した土壌において初めて機能する」ということを彼らが考慮していなかったからだと私は考えます。平たく言えば、彼らは、欧米人と日本人の国民性の違いを考慮していなかったのです。これによって、日本の子供達には、「自国に対する帰属心は持たないままで、それに代わるものも持たない」という困った状態が起きています。沖縄の子供達に至っては、戦争の非情な史実を特に強調して詳しく教えられるので、さらに困った状態が起きています。それは、「沖縄戦の悲惨な歴史を自身の実存的事象として背負い込んでしまう」ということです。実際に沖縄の子供達の多くは、大人になってからもそこから抜け出す事が出来ないのです。これはとてもかわいそうなことです。この問題について考える時、私は恐ろしくなります。
今必要な事は、「自身に連なる連続体として沖縄戦を捉えるのではなく、それを自分とは切り離された一つの出来事として捉える」考え方を沖縄の子供達に与える事です。「自分は自分なんだ」という考え方の中にこそ、真の平和の萌芽はあります。
かつて私は大学時代にこれと同じ主張を行ったのですが、その時に私は複数の韓国人留学生から強い賛同を得ました。驚くべき事に、私が相当の思索の後に得たそれを、彼らは既に持っていたのです。
米国のクリスマスソングの定番曲に、ジョン・レノンの「ハッピークリスマス」という曲があります。この曲が今なお強い支持を受けている理由の一つは、その独特の歌詞です。そのメッセージは、曲のサブタイトルにも強く現れています。そのサブタイトルは次のようなものです。
「戦争は終わった」